スマホが真にパーソナルなコンピュータになる日

新春なので将来の話をしよう。

かつて私は、

という記事の中で、

私は、モニターとキーボードとマウスという、パソコンの基本形は、今の時代になっても、そしてこれからも一番使いやすいユーザインタフェースだと思うのだ。

と書いた。今もその気持ちは変わらない。こんなブログの投稿も、iPhoneiPadで、できないことはないけれど、やっぱり大画面とキーボードというのは、その見渡しの良さ、入力の快適さにおいて、これにかなうものはない。

ところで、世はスマホ全盛である。

インターネットへの接続端末の数も、パソコンよりスマホが上回ったと聞いた。

あれだけ、誰もが電車の中でSNSをしたりニュースを見たりが普通になれば、それもそうだろうとうなづける。

でも、やっぱり、本格的に作業するには、デスクに座ってパソコン、これにはかなわないだろう。

手軽さではスマホかも知れないが、実用面ではパソコン、その使い分けはやっぱり必要だろう。

と思っていたら、なんと、その両方を解決するアイデア製品が出た。

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Andromiumは、何の変哲もない十数センチ四方の白いプラスチックの台。一見すると充電用ドックのようだ。
これにAndroid機を挿し入れ、ワイヤケーブルでモニターと繋ぎ、ワイヤレスのキーボードを用意すれば準備完了。もちろんマウスを繋げることもできる。
PCが消える日は近い?スマホをPCに変身させるガジェット - IRORIO(イロリオ)

確かに、最近のスマホのコンピュータとしての性能はかなりのものだから、要はインターフェイスさえ揃えてやれば、パソコンと同じ作業ができるはずだ。

本体には、作業エリアとして必要なだけのメモリと、高速なCPUと、高速なグラフィックチップを搭載すれば良い。ストレージは、これからの時代はクラウドになるので、本体に内蔵する必要はない。

こうなると、スマホはもはや、単なる携帯端末ではなくて、真にポータブルでパーソナルなコンピュータ本体という性格になるだろう。

これを1台、誰もが持っていれば、電車の中では携帯端末として、オフィスや自宅ではパソコンとして、さらにモニタやキーボードさえあれば、それが自宅や自分のオフィスである必要もない。

そう想像すると、将来は間違いなく、こうなっていくだろうなと感じる。

今までのように机上に場所をとって鎮座していたデスクトップパソコンは、やっぱり近い将来、無くなっていくだろう。と思った。

年の瀬に今さらながらビル・エバンスを聴く

今年最後のゴミ出しが終わって、さて一休み。

何かゆったりと見れる映画でも見たい。

と思って、Huluで以前に書いたこの映画をまた見てみた。この季節にピッタリの雰囲気だと思ったので。

この映画の中で豊川悦司が演じるバーのマスターと、おりからの停電でキャンドルがいっぱい飾られたバーの雰囲気がとても良いのだけれど、そこでマスターが好きでいつもかけているのが、この有名なアルバム。

1曲めのMy Foolish Heartは、この映画のテーマ曲にもなっていて、静かな雪の夜に、キャンドルを灯しながら、来るはずのない人を待っている、そんな心情を見事に表現して素晴らしい。

この映画を改めて見て、そんなことを感じたら、この有名過ぎるアルバムを買ってみようかと思った。

このアルバムは、たしか学生時代に入り浸っていた自由が丘のジャズ喫茶で聴いたことがあったと思うのだが、それ以来、まともに聴いたことがない。

私もちょっとひねくれたところがあって、誰もが通る道、的な名作というのは手を出さないところがあったし、昔聴いたビル・エバンスは、何か静かなだけで、私の欲するジャズというものとはちょっと違っていると思っていた。

でも今、やっと、その良さを感じることができるようになった気がする。

多すぎない音。

音楽は、弾くことじゃなくて、弾かないことでもある。

それが分かるようになってきた今、やっとこの音楽が聴けるようになってきたのだろう。

確かに、非常に遅まきながらではある。

でも、人生、死ぬまでにわかれば良いのだ。どんなことも。

安いイヤホンを買ってみたら、とても当たりだった。

ちょっと前にヨドバシの店頭で試聴した結果、選んだのがこのイヤホン。

しばらく使ってみて、このイヤホンはとても当たりだったと思うので、良かったところを箇条書きにしてご紹介してみる。

安い。

買った時の正確な値段は忘れたけれど、今日現在アマゾンで買うと、1,992円である。
でも、1万円以下で店頭にあるイヤホンを片っ端から試聴してみたら、これが一番音が良かった。

音が良い。

低音は締まっているというよりは比較的ふくよかな感じ。でも決してこもらずに必要十分にベースもはっきり聞こえるし、高音の透明感もある。ボーカルはくっきり浮き出てくる。全体的にバランスが良い。

最初、低音が全然出ないと思ったが、イヤピースを付属していた大きめのものに変えたら、バッチリ出るようになった。低音の出る出ないは、イヤピースと耳の相性が大きく左右するようだ。

リモコンマイクが良い。

リモコンマイクは右のケーブルの比較的上の方にある。だから電話で使うときのマイクが口の近くになって良いのと、リモコンのボタンは小さめだが手で探って押すのに特に支障はない。
「リモコンマイクがある方が右」と憶えれば、暗い中でも手探りでイヤホンの左右が分かるのもよろしい。

ケーブルが絡まない。

扁平なケーブルを採用しているのだが、これがしなやかで絡まず、非常に具合がよろしい。高級なイヤホンでもケーブルが固かったり太かったりでよろしくないものもあったりするのだが、この長所は大きい。

色が色々ある。

全部で10色のカラーバリエーションがある。私はオーソドックスに黒を選んだが。


と、いうことで毎日愛用しているので、気軽に買える良いイヤホンをお探しの方にはオススメします。

川は必ず大海に繋がっている

一度頂上の目標を達成してしまったら、必然的に下りて来なければいけません。そこで、モチベーションが一気にダウンします。ライブ本番まで必死に楽器練習したのに、終ったあとは、2,3カ月平気で部屋の隅に放置したことある人が、いないとは言わせません。(笑)
そこで【川下り型】に発想を変えます!ボートにのって川を下るイメージです。川は必ず大海に繋がっています。世界が広がっています!
「山登りはするな!川を下れ!?」連続ツイート116回まとめ | 人生はジャムセッションだ!

を読んで、最近自分が書いた2つの記事を思い出した。

数日前の、

で、私は人生を山登りに喩えた。

でもそのちょっと前のこの記事、

では人生を川下りに喩えていた。

何故私は、数日の間に、同じ自分の人生を山登りから川下りに解釈を変更したのだろう。

山登りには、「目標を定めて、それを目指して一歩一歩進む」というイメージがある。

川下りには、「流れに身を任せて、自然に海に流れ着く」というイメージがある。

両者に共通するのは、自分の理想とする場所に辿りつくことを目指すということだ。

両者で違うのは、それが自分の努力によるのか、他者の力によるのかというところだろうか。

さらに、山登りは重力に逆らう行為であることに対して、川下りは重力を利用しているということだ。

つまり、山登りより川下りの方が、人や自然に自分の運命を委ねるという感じだ。

どちらが生き方として、自然なことか? それは言うまでもなく、川下りの方だ。

それを私は感じて、これからの生き方に川下りをイメージしたのじゃないかと思う。

冒頭に引用したコラムにはさらにこう書かれている。

川は必ず大海に繋がっています。世界が広がっています!そして、その大海にたどり着く条件はたった一つ。【ボートを下りないと決める事!】
ボートを降りさせしなければ、自然と大海までたどり着くのです!


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私にとっての大海はなんだろう?

来年は、それが見えてくることを期待したい。

いまどきでも年賀状が電子化できない理由

いまどきは、年賀状をスマホでサクッと作って、なんだったらそのまま...

「作成した年賀状を印刷し、あなたに代わってポストへ投函!」
【超絶便利】年賀状の作成も投函もスマホでめちゃ簡単にできてビビッた /アプリ「はがきデザインキット2015」がマジで使える件 | ロケットニュース24

までやってくれる。つまり、年賀状を買う必要もないのだ。

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これを見て、そこまで電子的に簡単にできるんだったら、最後に紙媒体にすることが意味ないんじゃないか、出来た年賀状は相手にメールやSNSで届けばいいじゃん。と思って、ふと気づいた。

人によって違うかも知れないけれど、フェイスブックなどで日頃つながっている人とは、そもそも年賀状のやり取りをする習慣がない。付き合い始めた当初から、ネットという場でのコミュニケーションが通常になっているので、その世界では、そもそも、年賀状という古来の風習自体が、お互いの暗黙の了解の元に、存在していないのだ。

逆にいえば、それ以外の人たち。会社関係や親戚関係などは、ネット以前からの付き合いであるわけで、そうした古くからの付き合いの人たちとは、その付き合いをネットに移行するということをしてこなかった。

というか、会社関係はあまりにも毎日直接顔を突き合わせているし、逆に親戚関係は、何かあったとき以外はコミュニケーションそのものがほとんど希薄である。

だから、現代において便利な手段である電子化への移行が促進されなかったのだ。

そして、年賀状とはどういう人に出すかというと、日頃最もお世話になっている人たち、つまり会社関係であったり、日頃一番疎遠ではあるが大切な人たち、つまり親戚関係なのだ。

つまり、年賀状を出すべき相手が、一番、電子化されていない付き合いをしている相手。

いまどきでも、結局年賀状が電子化できない理由とは、つまりそういうことなのだなと思った。

「登るべき山はこれだったのか」とふと思った。

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今までの自分の人生を山登りに例えてみれば、私はもうかなりのところまで登ってきたことになる。

ここに来るまで、いくつもの分かれ道で行き先を選びながら、たどり着いたのが、今のここだ。

どの選択も、そのときの最善だったのだから、今まで来た道は決して間違っていない。

全ては必然であり、これがベストの道だったのだ。


・・・と今までは思ってきた。

でも、もしかしたら、そうじゃないんじゃないか。

やっぱり、この道は間違っていた、登るべき山はこれじゃなかったということも、あり得るんじゃないか。

と、ふと思ったのである。


長年、信じて登ってきただけに、ここまで来てしまっただけに、間違った山に登ってしまったなど、到底信じたくはない。

まして、いまさらこの山を下ってまた別の山に登り直すなどはできるわけがない。

だから、この山で良かったんだ、決して失敗ではなかったんだと、自分を騙そうとしているだけじゃないのか。


もし、そうやって自分を偽っているのだとしたら、死ぬ間際になって、やっぱり自分の人生は間違っていたと気づくのかも知れない。

いや、もしかしたら、死ぬまで気付かずに、死んだ後で天国で人生を振り返って、気づくのかも知れない。

だとしたら、それで良いのかも知れない。

自分を騙したまま、一生を安らかに終える。それもアリなのかも。


愚かな失敗を何度も何度もしてしまう、それが人間というものだから、神様は転生というチャンスを与えてくれているのかも知れない。

「人生 下り坂、最高!」

火野正平さんが出演する『にっぽん縦断 こころ旅』のテーマタイトル。
この気分は上り坂にいる若い人にはわからないでしょうね。下り坂は疲れることもないし、息もあがらない。こんなに楽しいことはありませんよ。
大江 英樹 - タイムラインの写真 | Facebook


最近どうも、人生に加速感を感じる。この歳になって加速するってどういう風の吹き回しなのか。自分でやっていることながら、なんでだろうと思っていたのだが、これを見て、その理由がわかった。

私が下り坂に差し掛かっていたからだ。

役職定年を過ぎ、もう来年は定年。そりゃ下り坂当然だわ!(笑)


マウイ島のキラウエア火山にバスで登って、自転車で降りてくるというツアーがある。それを思い出した。

私の人生、それと同じなのかも知れない。

今までは会社というバスに乗って、頂上まで登ってきた。一人で歩いたわけじゃないので、別に大変ということは無かったのだけれど、人に決められた枠の中で、連れて行かれるままにやってきた。そうかも知れない。

でも、頂上を過ぎ、今は一人で自転車にまたがったところ。

さて、景色は最高。あとは下り坂。

胸いっぱい深呼吸して、風を感じながら、おもいっきりダウンヒルを楽しもうじゃないか。

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