天は二物どころか何でも与える。それを選びさえすれば。

ロシア初の女子プロゴルファー『マリア・ベルチェノワ』はハリッド女優級のスタイルと美貌☆ |

という記事があった。確かに美貌のプロゴルファーの写真が並んでいるのであるが、ここで引用したいのは、その写真ではなく、記事の最後にあったこの文章である。

ここでもやはり天は2物を。。。。www

「天は二物を与えず」ということわざがある。でも、皆の心の中では、「実は天は二物を与えている例はいくらでもあるんじゃないか・・・」と思っているのではないかと思う。

私もそう思う。

実際に、優秀な人は見た目も良いことが多い。

これは、これは人事担当者を長年やっていれば、誰でも気づいてはいるが、おおっぴらに口に出せないでいる事実だ。

だから、人事担当者の中では、「迷ったら見た目の良い方を選んでおけ」というのは通説になっている。

私もそう思う。


では、何故、こういうことが起きるのか?

天はわざと二物を与えているのだろうか? 何故公平にしないのだろうか?

私は、これには、2つの理由があると考えている。一つはスピリチュアル的な観点、もう一つは遺伝学的な観点だ。

スピリチュアル的な理由

人は必ず、その人生での課題を選んで生まれてくる。

歌手になるために生まれてくる人、女優になるために生まれてくる人、そして、プロゴルファーになるために生まれてくる人。

これらの人が、その人生で成功するためには、見た目が必要であると考えたら、良い見た目を選んで生まれてくるだろう。

今生での肉体は、いわばこの世を旅するために選ぶレンタカーのようなもの。

その旅の目的に合ったクルマを選んで生まれてくるのだ。峠道を快走するならばスポーツカーを、砂漠を走破するならばランドクルーザーを選ぶだろう。

だったら、見た目を自分で選べるんなら、誰もが美人を選んで生まれてくればいいじゃないか? と思う人がいるかも知れない。

それはその通り。選ぶことはできる。

でも、それを選んで生まれてきていないのは何故か?

ポルシェやベンツを買えるお金があったとしても、必ずしもそれを買うとは限らない。それを乗りこなす自信とか、自分のライフスタイルに似合った、実用性のあるクルマを選ぶのが普通だろう。そういうことなのだ。

このように、人は、自分の人生の課題、目的に見合った外観を、自ら選んで、生まれてきているのだ。

遺伝学的な理由

「美人は平均顔だ」と言われる。

たくさんの女性の顔をどんどん合成してくとどんどん美しい顔になっていく。という実験をご覧になった人もいるのではないだろうか?

これは顔だけでなく、声でもそうだ。一人一人の声は個性があっても、何十人が重なって合唱になると、その声に個性は消えるけれど、とても美しい音色になる。

我々は多くのものが平均された結果に「美」を感じるようだ。

では、実際の美人はどのようにして出来たかというと、つまり上と同じことがなされたということだ。何代もにわたって、多くの遺伝子が混ざり合わされた結果だということだ。

多くの遺伝子が混ざり合うということは、その間での適者生存の自然淘汰が数多く繰り返されたということだから、強い優秀な遺伝子であるということになる。

つまり、多くの遺伝子が混ざり合わされた結果である美人は、強い優秀な遺伝子を持っている、言い換えれば「性能が良い」ということだ。

ここで、先に書いた、優秀な人は見た目も良いことが多い。と人事担当者が思っていることが正しかったことが分かる。

これは人ではなく、モノでもそうではないか。性能の良いモノは、得てして外観も美しいものだ。

そして、上の「スピリチュアル的な理由」に結びつくのだが、この世の旅に使うクルマを性能で選んでも、その結果、自然と外観が美しくなるということだ。

つまり・・・

天は何でも望んだものを与えてくれている。それをもらうかどうか選んだのは、あくまでも自分だったのだ。