「登るべき山はこれだったのか」とふと思った。

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今までの自分の人生を山登りに例えてみれば、私はもうかなりのところまで登ってきたことになる。

ここに来るまで、いくつもの分かれ道で行き先を選びながら、たどり着いたのが、今のここだ。

どの選択も、そのときの最善だったのだから、今まで来た道は決して間違っていない。

全ては必然であり、これがベストの道だったのだ。


・・・と今までは思ってきた。

でも、もしかしたら、そうじゃないんじゃないか。

やっぱり、この道は間違っていた、登るべき山はこれじゃなかったということも、あり得るんじゃないか。

と、ふと思ったのである。


長年、信じて登ってきただけに、ここまで来てしまっただけに、間違った山に登ってしまったなど、到底信じたくはない。

まして、いまさらこの山を下ってまた別の山に登り直すなどはできるわけがない。

だから、この山で良かったんだ、決して失敗ではなかったんだと、自分を騙そうとしているだけじゃないのか。


もし、そうやって自分を偽っているのだとしたら、死ぬ間際になって、やっぱり自分の人生は間違っていたと気づくのかも知れない。

いや、もしかしたら、死ぬまで気付かずに、死んだ後で天国で人生を振り返って、気づくのかも知れない。

だとしたら、それで良いのかも知れない。

自分を騙したまま、一生を安らかに終える。それもアリなのかも。


愚かな失敗を何度も何度もしてしまう、それが人間というものだから、神様は転生というチャンスを与えてくれているのかも知れない。