沈黙が怖い
二人で会話している時、それもあまり親しくない人と二人だけの時は、会話が途切れて沈黙の一時が流れてしまうことがある。
初々しいカップルなんかだったら、その一瞬を「天使が通り過ぎた」なんてロマンチックな表現で言うこともあるが、多くの場合は、初々しいカップルではないケースである。
そういう時は気まずいので、世間話的なことを話そうとするのだが、共通の話題を探すのが、なかなか難しいことがある。
この、会話が途切れている間というのは、結構イヤなものである。
もっと場面が逼迫して、例えば面接試験の時など、面接官の質問に対しては、もう回答は終わっているのに、そこから話が途切れずに、必要以上に話し続けてしまう受験者も結構いる。
人は嘘をついているときは、必要以上にしゃべるということも聞いたことがある。
これらは皆、話していないと不安になるという心理だ。
沈黙が怖いのである。
これ、音楽の場でも同じことが言える。
譜面にキッチリと書かれたタイプの音楽であれば、譜面の通りに演奏すれば役割は果たせるし、逆にそれ以上のことを演奏してはいけない。
しかし、譜面のないアドリブ演奏の場合は、「弾かなくちゃ」「音を出さなくちゃ」という強迫観念で、必要以上に音を弾きすぎることが往々にしてある。
もう、休符で音を途切らすこと自体が怖いのである。
演奏に自信がある人は、適切に休符を置ける。無駄な音を弾かないので、それが結局、良い演奏になる。
つまり、コミュニケーションというのは、自分が思っているほど、自分が話さなくてもいいのだ。
アドリブソロも、自分が思っているほど、弾かなくてもいいのだ。
むしろ、その方が良い。
では、何が大事かというと、そこで来るのが、「聴くこと」なのだろう。
これがやっぱり、セッションでも一番大事なことだと言われている、「他のメンバーの音を聴く」ことと全く同じなのだ。