信念とは何だろう
ブラック企業の被害者が何故ブラック企業を辞めないのかという理由は、
詐欺に引っ掛かった被害者が、自分を被害者だとなかなか認めないのと同じだと思うのだよね。いくら「それは詐欺だよ」と言っても、「そんなことない」といい張る。
これは単純な心理で、自分を被害者だと認めることは、過去の自分の判断の誤りを認めることで、一般に重大な誤りほど認めるのに抵抗があるものだ。だから詐欺じゃないといい張れる間は、絶対認めない。
人はなぜブラック企業を辞めないか – ガジェット通信
という。なるほど。
それでふと思ったのだが、では、「信念を持って頑張る」ってこともそれと同類なのだろうか?
何かに信念を持つということは、つまりそのことが正しいと自分は信じている状態ということで、それを貫き通すということは、その考えを変えないということだ。
それはともすると、「もしかしたら間違っているんじゃないか?」と疑うことを排除しているということではないか。
対象がブラック企業であれば、先の引用のように過去の自分の判断の誤りを認めることの方が正しく思えるけれど、そんなにはっきりと黒か白か分からないケースの方が、人生の場面では多いだろう。
確かに、何かをやり抜くには強い信念を持って継続することは必要だ。
でも、それが誤ちに気づきながら、それを自分が犯したと認めたくないがために、変えることを嫌っているに過ぎないということがないか、常に、その可能性を自己点検することが大事なのだろう。
そして、気づいたら、捨て去るちょっとの勇気。そういうことだろうと思った。