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街は新しい色が旧い色を塗り潰すことで変わって行く。

昨夜、会社の帰りに溝の口駅の近くまでやってきた時、「あーこの街は何かこの猥雑さが残ってるところがいいな」と感じた。

新しく出来た街は、混沌としながら発展してきた猥雑さが無くて、整然として美しい。でも、美しいだけで、色合いというか、匂いというか、そういうものがない。

古くから出来てきた街は、再開発で綺麗になった部分はあっても、その古い表情を所々に残していたりして、その両方が混ざり合って、街の個性を作っている。

街を再開発するのは、街というキャンパスに色を塗るようなものだと思う。

だいたいの場合、全部塗り尽くすということは無くて、まだらだったり、部分的だったりする。

溝の口の場合は、結構まだらに大雑把な塗り方がされた感じだ。駅前は整備されたが、放射状に伸びる小さな道沿いには、昔ながらの雰囲気が残っている。

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そうでない塗り方の街もある。

例えば川崎だ。

川崎は、南北に走るJRの線路を境に、西側が全て塗り替えられた。東芝の巨大な工場敷地だったところには、巨大マンションと商業複合施設が建ち、全く違う街が創造された。

一方、線路の東側は、昔のまま、塗り替えられずに残った。銀柳街を歩くと、昭和に迷い込んだような気分すら味わうことが出来る。

さて、我が横浜はどうだろう。

開港以来150年間、あちこちの地域が交互に塗られ、交互に残され、結果として色々な表情を醸し出す、全体として変化に富んだ、新旧が溶け合った街になったのだと思う。

開港当初は海沿いの居留地、その後、桜木町や元町、戦後は黄金町や福富町あたり、そして伊勢佐木町。横浜西口が開発されて以後は、伊勢佐木町が廃れたが、その後はみなとみらい地区が栄える。

そうそう、その間に本牧というバブル期の仇花もあった。

40年以上住む、我が愛すべき横浜については、今後もまたちょくちょく書いてみたいと思うけれど、横浜は、これからも常にその時代の色が塗られて、変化し続けて行く街だと思う。

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