夏が過ぎようとしている夜は、懺悔のひととき。
夕立のあと、グッと涼しくなった。
もう、真夏のジリジリとした暑さは来ないように思う。
やっと涼しくなるのは、助かる反面、そこはかとない寂しさも感じる。
夏の暑さって、やっぱり、生命の源というか、エネルギーの固まりというか、そういう感じがあるではないか。
だから、それが去るということは、一つの終わりであり、寂しいという感傷が伴う。
真夏に、海に行って、仰向けになり、ジリジリと照る太陽にこの素肌を晒す。
じっとりとにじむ汗と同時に、何億キロ離れたところからやってくる核融合の超巨大エネルギーをこの身に浴びる。
そして、その火照りを癒やすために、冷たい海の水に浸かる。
波が身体を巻き込んで、泡立つ。
そんな夏はもう、何十年も過ごしていない気がする。
ただ、暑く、つらいだけの夏。
それは本当の夏の過ごし方ではないのだ。
涼しくなると、そんな罪の意識からか、懺悔のような気持ちになる。
ああ。今年も、何もせず、夏を終わらせてしまいました。
夏はやっぱり、何かをしなければいけない季節だったのだよ。