「ゴジラ2014」に見た怪獣映画の様式美

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iTunesにレンタルが出ていたので、雨の土曜日の午後に鑑賞。

レビューを見ると、「すごく良かった」という評価と、「あんなものはゴジラではない!」という酷評とに二分されている。

ハリウッドにおけるゴジラについては、以前にローランド・エメリッヒ監督の黒歴史があり、ゴジラファンにとっては、あのトカゲ映画は「無かったことになっている」らしい。

果たして、今度はどうか?

評価が二分されているという映画は、実は私は好きである。

誰もが良いという映画は、ひねくれ精神がもたげてあまり見る気がしないし、かと言って誰もが酷いという映画は、見るのに勇気がいる。

評価が二分されている映画は、では自分はどう感じるだろうか? という自分の感性テストみたいなワクワクを感じるのである。

ということで前置きが長くなったが、見終わって、私は、決して悪くないと思った。

実にオーソドックスな怪獣映画である。「オーソドックスな怪獣映画」というのは、褒め言葉だ。

冒頭に、何か異常な事態が起きる。でも、その原因がなんだか分からない。そして突然現れる、脅威のその姿。

これらは、元祖「ゴジラ」から始まって、平成版「ガメラ」でも受け継がれていた、怪獣映画のワクワクを盛り上げる、いわば様式美だ。

その日本伝統の「様式美」を今回のギャレス・エドワーズ監督はきちんと理解して踏襲している。

ゴジラのキャラクタ設定にしても、日本製のゴジラに対する深い愛と敬意をちゃんと感じる。

でも、それだけではなく、全く新しい視点も付け加えている。元祖ゴジラは、水爆実験の放射能によって生まれたという設定になっていたが、ここが根本的に変わっていて、表向きはそうだが、実は・・・ということになっている。

この設定はなかなか好きだ。そうきたか!

そして、ラストシーンも、ゴジラはこうでなくてはいけないという終わり方になっている。様式美だ。私は最後に、「終」という文字がど真ん中に出てくるかとすら思った。

続編では、なんでも「あの怪獣」も出てくるとのこと。ぜひ、東宝が踏んだ過去の轍を踏まないように、この路線を維持して欲しいものである。