モノとしてのオーディオの終焉

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山水電気が破産した理由とは? 「オーディオ御三家」の没落


山水電気は何故潰れたか?

いや、何故日本にオーディオ業界は尽く没落してしまったのか?

私はそれはこの写真を見れば、その理由が明らかだと思う。

これはチューナー内蔵型プリメインアンプだろうか?

木の枠組みの中に黒いパネル。そこに浮き上がるチューナーの目盛りやメーターは蛍光色に光って浮かび出て美しい。

その様子は、エレガントというよりも、むしろ蠱惑的だ。

音楽を愉しむ。という本来の目的以上に、モノとしての魅力をとことんまで追求して作られたことが分かる。

一流のモノを所有する喜び。

当時のオーディオ製品は、音楽を愉しむことよりも、より良いモノへの憧れ、そしてそれを所有することの満足感。それを満たすことが目的として作られていたように思える。

そして、それはいうまでもなく、当時のニーズに合致していたのだ。

より良いモノを持つこと。それは取りも直さずより良い生活、幸福な人生を意味していた時代。

趣味の世界で、その憧れ、欲求を満たすことができる存在として、当時のオーディオ製品は存在していた。

音楽はいつの世にも存在する。しかし、それを聴く手段は、時代とともに移り変わってきた。

オーディオ業界が没落してしまったのは、それが音楽を聴く手段としてではなく、魅力的なモノとして作られるようになってしまったことが原因だと私は思う。

そして、そうなってしまった以上、今の時代においては、それはすでに人々が必要とするものでは無くなってしまったのだ。