地獄というものは子供だましの脅しに過ぎない。
先日、Huluでこんな映画を見た。1960年の新東宝の作品。
主人公は、泥酔したヤクザ者を轢き逃げしてしまうが、罪の意識はあっても自首することはできない。そればかりか、復讐しに来た女やつきまとう友人も、不慮の死に追い込んでしまう。
その主人公も結局は殺されて地獄に落ちるという、何とも救いようのない暗い話なのだが、一つ面白いというか、そこがこの映画のテーマにつながっているのだろうと思ったことは、主人公ははからずも人を殺してしまうのだが、決して殺意があって殺してはいないというところだ。
主人公は自分の罪を悔いてはいるのだが、決して自首はできない。自分の犯した罪の恐ろしさに負けてしまった弱い人間なのだ。
そんな弱い人間たちが、地獄に落ちると永劫の時間、痛めつけられ続ける。
私はこれを見ながら、もし地獄というものがあるとしたら、神は一体何のために、こんな無駄なことをする必要があるのだろうと思った。
痛めつけられている人間は、単にもがき苦しむだけである。そこには、更生して再生するという余地はない。反省したり心を入れ替えることができる状況ではない。果てしなく苦痛を与えられ続けるだけだ。
そんな、未来に何もつながらないようなことを、これだけの手間をかけて、神様がするだろうか?
この世に魂を送り出すのは、魂がこの世で学び、成長させることが目的だから、この世で、たとえ重い誤ちを犯したとしても、それを改めるチャンスを必ず与えるはずだと思うのである。
だから、この映画で描かれているような地獄は、実際にはあり得ない。
地獄というのは、この世で悪いことをさせないようにするための、単なる子供だましの脅しだ。ナマハゲと同じレベルの作り話だ。そうはっきり分かったことが、この映画から学んだことであった。