何もいらなくなってきた
土曜日に、横浜の海辺にある象の鼻パークまで散歩していたとき、ふとこんなことを思った。
昔は、休日に自転車に乗って良くこのへんまで来たこともあった。一時は自転車にも凝っていた。
ちょっと前はカメラを持って、写真を撮るためにこのへんに足を運んでいた。
それがいつの間にか、何も持たずに、ただ歩いてここに来る。それだけで良くなってる。
自転車に乗らなくても、歩けばいいし。
カメラ持ってこなくても、iPhoneのカメラで十分だし。
って。
それは決して貧乏くさくなったんじゃなくて、晴れた休日に、こうしてのんびりと陽の光に体をゆだねて、のんびりと時間を気にしなくて良いひとときを味わって。
それだけで、十分素敵な休日だし、幸せだなあ。って心から思えるようになってきたということなんだ。
まあ、私も年取ってきたからということも確かにあるだろうけれど、この心境の変化は、間違いなく、「あの日」以後のことだ。
2011年3月11日。
実は上の写真はその日の1か月後に撮ったもの。
震災後、しばらくは停電やモノが無かったり、まだ余震が起こったり、ザワザワと落ち着かない気分だったのが、1ヶ月経って、やっとブラブラ散歩にでも行こうかという気分になって、この象の鼻パークに来たときの写真だ。
明るい日の下で、人々がのんびりと休日を楽しんでいる平和な風景。それを見て、その中にいて、しかも大好きな美味しいビールが飲める。
「あー幸せだなあ」
と本当に心から思った。そんなことはやっぱり、震災前には思わなかったことだ。
カメラも、自転車も、そりゃあれば楽しい。
それは人生を楽しく彩るだろう。
でも、それが無くても幸せになれるようになった。
これは、やっぱり、魂の成長だろうと思うのだ。