何もいらなくなってきた

P1100553

土曜日に、横浜の海辺にある象の鼻パークまで散歩していたとき、ふとこんなことを思った。

昔は、休日に自転車に乗って良くこのへんまで来たこともあった。一時は自転車にも凝っていた。

ちょっと前はカメラを持って、写真を撮るためにこのへんに足を運んでいた。

それがいつの間にか、何も持たずに、ただ歩いてここに来る。それだけで良くなってる。

自転車に乗らなくても、歩けばいいし。

カメラ持ってこなくても、iPhoneのカメラで十分だし。

って。

それは決して貧乏くさくなったんじゃなくて、晴れた休日に、こうしてのんびりと陽の光に体をゆだねて、のんびりと時間を気にしなくて良いひとときを味わって。

それだけで、十分素敵な休日だし、幸せだなあ。って心から思えるようになってきたということなんだ。

まあ、私も年取ってきたからということも確かにあるだろうけれど、この心境の変化は、間違いなく、「あの日」以後のことだ。

2011年3月11日。

実は上の写真はその日の1か月後に撮ったもの。

震災後、しばらくは停電やモノが無かったり、まだ余震が起こったり、ザワザワと落ち着かない気分だったのが、1ヶ月経って、やっとブラブラ散歩にでも行こうかという気分になって、この象の鼻パークに来たときの写真だ。

明るい日の下で、人々がのんびりと休日を楽しんでいる平和な風景。それを見て、その中にいて、しかも大好きな美味しいビールが飲める。

「あー幸せだなあ」

と本当に心から思った。そんなことはやっぱり、震災前には思わなかったことだ。

カメラも、自転車も、そりゃあれば楽しい。

それは人生を楽しく彩るだろう。

でも、それが無くても幸せになれるようになった。

これは、やっぱり、魂の成長だろうと思うのだ。