モノで幸せになる時代は終わったのだろう。

今年も来年のカレンダーが売り出される季節になった。

私も毎年、ちょっと良さそうなカレンダーを買ってきては居間に飾ってみるのだが、実際そのカレンダーを見るかと言ったら、ほとんど見ない。下手をしたら2ヶ月くらいめくるのを忘れてたりする。ひどいことに、それくらい見ることがない。

つまり、無駄なのだ。来年のカレンダーは会社から実用的なやつをもらってきて、それでいいやと思う。

去年と心境が変わっている自分に気付いた。実用的な飾り気のないカレンダーでもいいやと思ってしまうのは、貧乏臭くなってきたからだろうか?

いや、違う。それは逆だ。


人はモノを手に入れることで、少しでも満たされようとする。モノを買うのは、その心理に他ならない。

だから、心が満たされてくると、モノが欲しくなくなるのではないかと思う。

いやちょっと違うな。本当に欲しいモノ以外は欲しいと思わなくなる。ということだ。つまり、必要のないカレンダーなどは買わなくなる。

言い換えれば、自分が本当に必要なモノが何かを見極めることが出来るようになるということだ。

心が満ち足りていないと、自分が本当に必要なモノが分からないから、色々なモノが欲しくなる。

使いもしないカレンダーを買ってしまったりする。

つまり、そう考えると、「欲」というのは、「心の満ち足り無さ」ではないか。


だから、「断捨離」もある程度心が満ち足りていないとすることが出来ないと思う。

モノ=幸せ と思っているうちは、自分の幸せを捨て去るような気がして、捨てられない。

心が満ち足りてくれば、モノは必ずしも自分の幸せのために必要なものではないと思えてくる。だから、捨てることが出来る。というか、捨ててスッキリしたくなる。

それが、「断捨離」というものの本質ではないか。


消費が低迷している。という。つまり、国民がモノを買わなくなったと。

昔は、誰もが「幸せになりたい」と思い、あらゆるモノが不足していたから、それを手に入れることが幸せになることとイコールだと、誰もが思えた。

でも今はそうじゃない。

それなのに、またモノを買うように仕向けようとしても、それは無理、というか、もう皆が、モノ=幸せとは限らないということに気がついてきているのだから。


日本人の魂は、とても成長してきているのだと思う。

だからこの先、GDPは落ち込んだとしても、日本人は決して不幸にはならないと私には思えるのだ。