STARTボタンを失った、悲しみのWindows8
仕事で、Windows8搭載のタブレットをいじることになった。
タブレット型のマシンは、iPadを持っているので別に珍しくは無かったのだけれど、どうにもこいつは馴染めなかった。私の中の何かが邪魔をして、このタブレットを素直に認めることが出来ないのである。
私がすんなりと気持ち良くiPadを使うことが出来たのは、それは大きなiPhoneだったからだ。
で、iPhoneは、携帯端末であり、携帯電話であり、そして昔ちょっと使っていたPDAに近いマシンであって、その中身は完全にコンピュータでありながら、いわゆる「パソコン」ではない。
全く別のものであるから、そういうものだという観念で使うことが出来た。
でも、このWindows8搭載のタブレットというやつは、見た目はiPadと変わらなくても、いわゆる「パソコン」なのだ。だって、Windowsなのだから。昔ながらのWindowsがタッチパネルの皮をかぶっているに過ぎないのだから。
などというと、Windows8の開発者の方からは、そうではなく、このタブレットこそが、これからのコンピュータの姿なのであって、その核となるのが、このWindows8なのだということだろう。
本当にこれからのコンピュータはこうなるのですか?
私には、会社のデスクトップパソコンが全てタブレットになって、そこでExcelで仕事をする姿が想像できない。
どう考えても、バリバリ仕事で使うには、従来通りのデスクトップに置かれたモニターとキーボード、マウスのセットが必要だろう。
そのためのOSとしては、Windows8の新しいUIは全く無用だ。
そう考えると、私にはWindows8は、パソコンでありながらiPadになろうとして妙な化粧をまとっている半端者にしか見えない。
Windows君にはもっと自信を持って、無骨ではあっても長年世界中のオフィスを支えてきた誇りを忘れずに、質実剛健の路線を歩んで欲しかった。
STARTボタンの誇りを取り戻せ
君が生まれてきた時にそれを誇らしげに輝かせていたのを私は憶えている。その君の象徴とも言えたSTARTボタンを無くしてしまうという愚行に、私は君の未来を見ることは出来ない。
(Windows8.1で形だけのスタートボタンをつけても、情けなさがつのるばかりである。)
Windowsは1世代ごとに当たりとハズレが繰り返されているというジンクスがあるので、それでもいい。
Windows9は、ぜひ、また燦然と輝くSTARTボタンを掲げて、我らのデスクトップマシンに戻ってきて頂きたい。