始まってみないとどうなるか分からない。それがジャズ。

一昨日書いた、音楽の楽しさに満ちていた、自由な怪人ジャズピアニスト、山本剛のライブ の続編。かな?

山本剛は、1曲ごとに、「次は何やりましょうかね?」と言ってしばし考えていた。

次に何が出てくるか、聴衆は当然ワクワクしながら待っているのだけれど、ステージ上の他の2人も、次に何が出てくるか分かっていない顔をしている。

山本剛がピアノでスローなイントロを弾き始めても、おそらくいつもと違うのだろう? ベースの人は一体何の曲だろう?みたいな、ちょっと困ったような苦笑いを浮かべてたりする。

ホールで、何百人というお客さんの前で1時間演る。ということだったら、それなりに曲目とかアレンジとか準備して臨むべきじゃないかという気もするが、何にも決めてこないで、その場のノリでやる。

いいねえ。これが、ジャズだ。

ピアノから始まったイントロが、何の曲か分かれば、ベースとドラムスの2人も合わせることが出来る。そこで曲が始まるのだが、テーマの後、ピアノが、果たしてどれくらいの長さソロをやるのか、どこでどう盛り上がって、その後、ベースソロに来るのか、ドラムとの掛け合いになるのか、それも曲が始まってみないと分からない。

でも、そういうことが、音のやり取りをする中で、自然に分かって、その場で、アレンジが出来上がって行く。

それが、ジャズだ。

とにかく、その場で始めてみて、何が始まるのか、それがどう展開して行くのか、始まってみないと分からない。やっている本人が分からないのだから、聴衆も当然、分からない。でも、それがジャズの現場の楽しさなのだ。

その場で、相手に合わせる。どうするか決めていない。でも、合わせられる。それが音楽になる。

「合わせられる」ということは、自由ではあるのだけれど、最低限のルールがあるということでもある。

それは、コード進行であり、リズムであり、曲の構成だ。

そういう、やっていることが音楽として成り立つための、暗黙の前提はある。でもそれ以外は全く、自由。

それが、ジャズだ。

先日の、山本剛のステージが、最高に楽しかったのは、そういう、自由さ、いい加減さ、それを彼が体現してくれて、聴衆も、それが自分の求めている音楽だということが分かっている人たちが集まった。そういう場の雰囲気があったからだと思った。

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