不射之射
バンドの中での我がピアノ演奏を聴くと、弾きすぎているなと感じる。
いや、プレイバックするまでもなく、バンドで皆の中に入って演奏すると、どうしてもケンカ腰になるというか、音を出さないと負けるみたいなメンタリティになってしまい、必要以上に音を出してしまう。
そればかりか、力を入れてしまうので、肩も指もガチガチになり、全く指が動いていない。
ライブでの我が演奏は、このようにまだまだ未熟過ぎる状態である。
最近、白玉を馬鹿にしてはいけないということに気付いた。白玉というのは全音符のことで、小節の頭でコードを「ジャーン!」と弾くのみというやつである。キーボードで良く行われる。
以前の私は、この白玉を馬鹿にしていた。中学生のバンドじゃあるまいに、それだけじゃアレンジでも何でもなかろうと。
しかし、キーボードについては、やはりこの白玉がバッキングの基本なのだ。下手な小細工を考えて弾きすぎて汚い演奏になるよりは、白玉イッパツの方が、よほど良いのだ。
弾きすぎない。
ということで思い出すのは、大昔の野外ジャズフェスで見た、御大マイルス・デイビスの演奏だ。
バックのリズム隊がタイトでファンキーなリズムを延々と奏でている。聴衆はリズムに身体を任せながら、マイルスの音をいつでるか?と待ち構えている。
しかし、マイルスは、全然演奏しないのだ。トランペットを抱えて俯いたまま、動きすらしない。
「どうしちゃったのか?」
と誰もが思い始めた頃、マイルスはおもむろにベルを空に向け、
「パラッ!」
と16文音符を2つ。
その後はまた、延々と演奏しないのだ。
その後、どのように演奏が展開していったのかは、もう憶えていない。でも、30年経った今でも、あの
「パラッ!」
の2音は憶えている。それだけ印象強い演奏を彼はやってのけたということだ。
これは極端な例だけれど、バンドの中で「弾かない」というのは、実は相当の自信がないと出来ないことだ。マイルスほどになってこそ、あんな演奏ができるのだ。
中国古典に「不射之射」という話がある。
究極の弓矢の達人がいて、その人はもはや鳥を射るのに弓も矢もいらない。矢を射つ仕草をするだけで、鳥が落ちてくるというのだ。
演奏せずして人を感動させたマイルスは、この弓矢の達人の境地に達していたということだろう。