駄文を発します。

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このブログはまだ始めて1ヶ月だが、3年前に止めるまで、私は5年間ブログを続けていた。
それも、毎日更新していたのだから、我ながら、これは結構すごいことだと思う。

その後、何故ブログを止めてしまったかというと、ツイッターとフェイスブックをやり始めたら、ブログの必要性を感じなくなったからだ。

今回、3年ぶりにブログを始めて、ブランクが空いたから大変かなと少しは思ったけれど、いやそんなことはないだろうとも思い始めている。というのは、ブログを止めた時、決してブログが大変だとか嫌になって止めたわけではなかったからだ。

ブログを書く必要性を感じなくなったから止めた。3年を経て、またブログを書く必要性を感じたから始めた。

それだけなのである。その「必要性」というのは、ツイッターでは書き足らず、フェイスブックでは広がりがなく、というところだろうか。

今日はそんな私が、ブログに思っていることを書いてみたい。

まず、ブログは質より量だ。

低レベルのエントリでもいいから、とにかく毎日何かしら書く。

自分でも良いなと思うエントリはその中から、100に1つ位出てくる。

その程度なのだ。素人が書きなぐる文章なんて駄文の垂れ流しに決まっている。ネットの無駄遣いと思われようがなんだろうが、とにかく、毎日書きまくる。

アクセス数? そんなものは最初は1日数人がせいぜいだ。

でも毎日書いていれば、アクセスは徐々に増えてくる。今1日10人だったら、毎日書いていると、1年後には100人位になっているはず。

毎日書くことが難しい? それは確かにあるだろう。

だったら、最初は難しかったら毎日絶対書かなくても良い。
でもそのうち慣れてくると、書くことが苦痛じゃなくなってくる。そうなると毎日書かずにいられなくなる。日課になる。

書く内容? そりゃ素人が何を書いても、その道の達人から見れば稚拙だろう。

でも、広い世界にはあなたが思っているのと同じことを思っている誰かは必ずいるし、あなたが知っていることを知らない人も必ずいるのだ。

だから、稚拙でも臆することも恥じることも何もない。

インターネットは本当にすごく色々な人がいる世界。

稚拙な自分が書いた駄文でも、それを役立つと思ってくれたり、面白いと思ってくれる人が必ずいるのだ。

全世界を相手に、堂々と駄文を発信し続ければいいのである。それがブログの価値なのだ。