ジャズとは「生き続けること」 ~ 映画「ふたたび」 

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Huluで鑑賞。

財津一郎演じる主人公は、かつてジャズトランペッターだったが、ハンセン病の発病によりライブ出演の夢を断念、以後50年もの間隔離病棟で暮らしていた。

孫は今まで祖父は死んだと聞かされていた。その理由は、祖父がハンセン病であったことそのものだったのだ。

将来を誓った彼女とも引き裂かれ、ミュージシャンとしての夢も絶たれて長い月日を隔離病棟で生き抜いてきた主人公は、孫に初めて会うことで、やり残したことをやるために、一緒に旅を始めるのだった。

やり残したこととは、「必ず帰ってくる」と約束した、かつてのバンド仲間を訪ねることだ。

大学でジャズをやっている孫に祖父は答える。

「ジャズって何?」

「生き続けることだ」

重くなりがちなテーマを、分かりやすく、爽やかな後味のロードムービーにまとめあげた監督の力量も素晴らしいが、何よりも財津一郎の重厚な演技がこの映画の大黒柱である。

実在する神戸のライブスポット「ソネ」でのラストシーンのライブ演奏は、もちろんアフレコだけれど、映画のテーマ曲「So Far Away」がいかにもジャズのスタンダードっぽいメロディでとても美しい。

映画の冒頭で主人公が海に向かって一人で吹くこの曲のメロディは、とても物悲しい雰囲気なのに、ラストシーンのライブでは、陽気で温かな雰囲気に満ちている。

最後は、久しぶりに、泣けた。

決して奇をてらった演出も癖もなく、人によっては物足りなさも感じるかも知れないけれど、誰でも親しみやすい作風がこの監督の持ち味だと思った。

万人にお薦めできる佳作と思う。


『ふたたび swing me again』予告編 - YouTube

「もう一つのエンディング」の方が絶対に良い「奇跡の輝き」

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この映画を一言で表すとすれば、アメリカ版「丹波哲郎大霊界」というところだ。

もっとも質はかなり異なるけれど。

主人公は子供二人を同時に事故で亡くし、その後に自分も事故で死んでしまう。さらに最後に残された妻も自ら命を断ってしまう。

そこまで殺すか?と誰もが思う安易さは否めないけれど、これは死んだ後の世界を描く映画なので、主要な登場人物にはまず死んでもらわないと話が始まらないのでやむを得まい。

映画の中で描かれる「あの世」は、概ね正しいのだろうなと私は思った。もちろん、私自身が「あの世」を見たことがあるわけではないので、いろいろな本に書いてあったことからするとだけれど。

例えば。

「あの世」では、全てが思いのままであること。風景も、住む家も、自分の姿も、能力も。

死別した人とは必ず会うことができること。でもそれが元の姿のままでとは限らない。

望めば、また現世に生まれて来ることができること。魂で結ばれているソウルメイトであれば、現世でまた出会って一緒になることができること。そのように運命が、生まれる前に、いつどこでどうやって出会うかまで、あらかじめ決められていること。

これらは、私が今までに聞いていたことと一致していた。

ただひとつ、この描き方はどうかなと思ったのは、「地獄」についてだ。この映画では、自殺者は地獄に行くという設定になっている。

自殺することが良くないということを描きたいがために、分かりやすい設定にしたのだろうとは思うのだが。

一方、魂が揺さぶられる思いのシーンもいくつかある。

主人公が姿を変えた娘にめぐり逢うシーン。娘は、生前に父が気に入っていたアジアのスチュワーデスの姿となって父の前に現れたのだ。

そしてもう一つは、DVDの特典映像として収められている、「もうひとつのエンディング」だ。

このエンディングの方が絶対に良い。

というか、このエンディングでなければ、話のオチは完全についていないし、何故、主人公の夫婦がもう一度人生をやり直してまで、また出会い直そうとするのかが分からない。

この映画を見るのであれば、ぜひ、DVDでもう一つのエンディングをお楽しみ頂きたいと思う。

真冬の札幌出張サバイバル術

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毎年2月のこの時期に札幌に出張という因果な稼業をしている。

この仕事も約10年続けてきて、その間、雪で飛行機が飛ばなくなって東京に帰れなくなったことが3回ほどある。

一番大変だった時は、出発ロビー、機内合わせて数時間待たされた挙句に欠航が決まり、JALが仕立ててくれたバスで札幌駅前まで送り届けられたのが深夜2時ということがあった。

その時は、たまたま以前に泊まったホテルの電話番号が携帯の中にあり、待ち時間の機内から電話して予約が取れたので、深夜2時の真冬の札幌街頭で凍え死なずに済んだ。

それ以来、帰りの日に大雪になりそうな予報が出ているときは、躊躇せずにホテルと翌日の便を予約するようにしている。

実は、今これを書いているのは、昨日帰れずに一泊して、翌朝の新千歳空港においてである。

無事帰りの便が飛べば、その予約はキャンセルしないといけないのだが、今回予約したスカイマークの便は、今朝0時までにキャンセルすればキャンセル料はかからない。また、ホテルも何も言わずに不泊すれば全額キャンセル料を取られるが、あらかじめキャンセルを伝えれば当日でもキャンセル料は半額で済む。

当然のことながら、飛ばなかった飛行機の運賃は全額払い戻ししてもらえる。

つまり、もし無駄になったとしても損害はホテルのキャンセル料のみなので、札幌の帰りの便が危うい時は、躊躇せずにホテルと翌日の便を予約してしまうのをお勧めする。

最悪、空港内で夜明かしできるとかいう人もいるけれど、私はもうちょっとそれは勘弁である。

ちなみに、冒頭の写真は昨日の様子ではなくて、数年前の出張のときのもの。当時のブログを見返していたら出てきたので再掲させて頂いた。

新千歳空港で機体に不凍液をかける特殊車両。今は無きJALのジャンボが懐かしい。

何よりも、いつも安全運行に全力を尽くして頂いている空港と航空会社のスタッフに感謝をこめて。

定年退職したらあけっぴろげる

私はこの6月で定年を迎え、長年の会社員生活に別れを告げることになっている。

その後の身の振り方についてはいろいろ考えてはいるのだが、ネットにおいてはどうするかということがある。

一つは、主に活動拠点となっているFacebookについて。

今は、Facebookでは、タイムラインは「友達のみ公開」にしている。私の名前をFacebookで検索した人がいたとしても、「友達」になっていない限りは、毎日私が書いている記事は見ることができない。

つまり、Facebook上での私の生態は、「友達」になっている人にしか見えない。

そして、今、「友達」になって頂いているのは、一部の例外を除いて、会社関係以外での家族や知人のみである。

別に、見られてもどうということしか書いていないということは確かなのだが、人事という仕事をしている都合上、社内の人間や、うちの会社を受験する学生などが見るということを気にしながら、Facebookをやりたくないというのが理由である。

それが現状のスタンスなのだが、定年退職したら、これを「公開」に変更しようと思っている。

会社に縛られない、会社の看板を背負わなくても良い、そういう身分になったら、この身ひとつが看板であって、だから、これを広く世に知らしめることの方が良い。

Facebookも、このブログも、全くあけっぴろげにして、誰にでも見てもらって、オモテウラのない自分を常に世界中にさらけ出す。

本来、それが当たり前のことなのだけれど、私を縛っていた、いや私が私自身を縛っていたいろいろが、そうはさせなかったのだ。

そうなれることを思い描いたら、すごくそれが楽しみになってきているのである。

オートマチックな栞を買ってみた

というものを買ってみた。

これはどのように使うのかというと、まず本の背表紙にクリップを挟む。

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そして、クリップから伸びた棒の先端を開いたページに置く。

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あとは普通にページをめくって読むだけ。

いつでも今読んでいたページに栞が挟まれている、つまりオートマチックな栞というわけだ。

逆開きの本の場合は、本の上側にクリップを挟むことになる。こんな感じ。

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使い方のコツは、棒の先端部が本の外側に位置するようにすれば、ページめくりの邪魔にならないということなのだが、使ってみればすぐに分かると思う。

たかが栞と思うとちょっと値段は高いかも知れないが、一度使ってみると非常に便利な逸品である。

私に過去を振り返らせるシンクロニシティ

去年の暮れから今までに、まるで、「ここで立ち止まって今までの人生を振り返れ」と言わんばかりのいくつかの出来事が立て続けに起こっている。


まずは、年末の大掃除。

数年ぶりに書斎の押入れの中を整理した際、高校から大学時代に撮った写真のアルバムを久しぶりに見て、良い機会なので大学時代のバンドの写真などスキャンしてFacebookにアップしたりした。

これは、年末の大掃除だし、自分でやったことなので特にどうということはない。

そしたら、父親から私の幼少期の写真を送ってきた。

なんか昔の写真づいているなと思う矢先、年が明けたら、私を過去の場所に連れて行くできごとが立て続いたのだ。


まず、CDAの学友たちで集まって新年会をやった。場所は中目黒。

その日は午後から半休を取っていたので、夜の開始時間まではまだ時間がある。会社の近くの溝の口駅から大井町線に乗って、東横線に乗り換える途中の自由が丘駅で、思い立って途中下車してみた。

自由が丘は、大学時代のいわばホームグラウンドなのだ。飲み会といえばここだった。部活の帰りに良く行った居酒屋やジャズ喫茶のあった場所には行ってみたけれど、当然のことながらその面影もない。

でも、狭い地域の中に下町っぽさと山の手っぽさが同居している、この街の独特な雰囲気は変わっていないなと思いながら歩いていた。

そんなことがあって、今度は今日。

知り合いの主催するセミナーに招待を受けて行ってみたら、その会場が、私が中学高校と6年間通った学校のすぐ隣。

なんと40年ぶりである。

昔、毎日降りて通っていた通学路を40年ぶりに歩く。なんと当時あった蕎麦屋や中華料理屋が、建物は変わったが残っていたり、当時からあった団地の建物が廃墟みたいになっていたり、懐かしい思いで歩いた。


わずか1ヶ月の間に、大学時代、そして中学、高校時代と、過ごした土地を立て続けに訪れるという偶然。

そして、これはまだ続くのであって、来月になったら、小学校のプチ同窓会が久しぶりにあって、小学校のあった近くに行く。

大学、中高、そして小学校まで、しかも順に遡っている。

これはいったい、どういうことだろう。


私は今年還暦。そして定年という人生の節目を迎える。

この時期に、こういう、過去を振り返らせるシンクロニシティが起きるということは、やはり偶然ではなく、何かの必然であると思わずにはいられないのである。

私がCDA2次試験に受かった理由を分析してみた

私が一発合格できたのは、未だに奇跡と思っているのだが、この試験はまぐれで受かるということは考えられないので、受かった理由があるはずである。

少し冷静になって、何故私が受かることができたのか、検証してみることにした。

私は試験で何をやったのか

直前のCDA実践研究会の個人ロープレで2人の強面講師陣に囲まれて指摘されたのは、

「質問をするな!伝え返しに徹しろ!」

私には悪い癖があることが分かっていて、それは、つい、質問をしようとしてしまうことだ。質問はしてはいけないわけではないのだが、相手の話を傾聴することよりも、つい、「何を質問するか」を考えてしまう。

私の場合、これには理由があって、採用面接官を長い間やっていたので、質問する癖がついているのだ。いわば職業病だ。だからこれを矯正しないといけないということは分かっていた。

直前の個人ロープレでも、頭では分かっていても、緊張するとその病気が出てしまって、それを講師に指摘された。

だから、本番前には、もう呪文のように、「質問するな、伝え返しに徹しろ」と自分に何度も言い聞かせていた。

本番では、とにかく愚直に伝え返しに徹した。おかげで見事に堂々巡りにはまり、ほとんど掘り下げの進展が得られないままに10分間が終わり、がっくり肩を落としながら帰途についたのだ。

そんな有り様でありながら、何故受かったのか?

考えていたら、そのヒントがこのホームページにあった。

2次試験 不合格者に見られる傾向 ( その他教育 ) - キャリアカウンセラーへの道 - Yahoo!ブログ



私は試験で何をやらなかったのか

上のホームページにあった、「不合格者に見られる傾向」を検討したみた。


1.先入観で話を進めてしまう。
それはなかった。というか、「あ、これはこうに違いない」と思えるほど先が見えなかった。

2.思いつくまま、脈絡もなく質問をする。
これもなかった。上に書いたように「質問するな」を愚直に貫こうとしていた。

3.自分の考え、または一般的価値観をもとに指導を行う。
当然、これもない。何も状況が分からないでいて指導などできようはずもない。

4.傾聴、特に反射(内容・感情)ができていない。
反射はそれなりにしていたと思う。というか、それに徹していた。「傾聴」といえるレベルまで出来たかは怪しいが。

5.過度の緊張によって会話が成り立たない。
これもない。待っている間に緊張が高まるという話は聞いていたが、私は待っている時間の間に徐々に落ち着いてきた。


と振り返ると、もしかしたら私はマイナスポイントとなることをやらなかったために、結果として合格点になってしまったのかも知れない。

結論

試験が終わった直後は、堂々巡りで全く掘り下げができておらず、こりゃダメだと真剣に思っていたのだが、結果としてどれだけ支援を進められたかではなくて、大事なポイントを理解して、それをやろうと努力しているかということだったのかも知れない。

試験はわずか10分間のインテーク面談だ。しかも試験という緊張する状況下で、結果は求められようもない。やるべきことをいかに分かっているのか。

それが着眼点だったとすると、私が愚直に「質問するな、伝え返しに徹しろ」でジタバタしていたのは、少なくとも「やるべきこと」としては正しかった。

つまりは、そういうことなのかも知れない。


後から受験する方に、ほんの少しでもお役に立てれば幸いである。